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未だに自分の人生に確信が持てずにいる

20160520

 人は歳を取るにつれ、自分の人生を肯定できるようになり、少しづつではあるけれど自分を愛せるようになるものだ。僕はそう考えていた。けれども、30歳になった今でも僕は、自分の人生になんの確信も持てずにいる。人生とはこんなに不確かなものなのかと、自分でも驚いてしまうくらいにあやふやで、曖昧だ。おかしいな、これじゃ10代や20代の頃となんら変わらないじゃないかと、思わず首を傾げたくなる。

 自分の人生に確信を持てないというのは、やりたいことが見つからないとか、生きる意味が分からないとか、そういう意味ではない。ただひたすらに、「このままでいいのだろうか」という、ぼんやりとした問いが頭の中から消えないのである。「このままでいいのだろうか」「いや、きっとダメなんだろうな」というキャッチボールが、何度も何度も繰り返される。

 自分はここでいったい、何をしているんだろう。何度も迷い、途方に暮れる。村上春樹風に言えば、「見当違いのところで、見当違いのことをしている」気がしてくる。

 そういうことって、多かれ少なかれ誰にでもあるものだよと、人は言うかもしれない。確かにそうなのかもしれない。でも、「ほかの人も同じように感じているのだ」という事実が、何かを解決してくれるわけではない。はっきり言って、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、僕自身が「今、ここにいる」という厳然たる実感を持てずにいることだ。「これが自分の人生だ」と、胸をはって言えないことなのだ。

 幸いなことに、僕には会社員として取り組むべき仕事がある。毎日会社に行けば、少なくともそこには僕がやるべき仕事が用意されている。これが天職だとは思えないにせよ、自分が何かの経済活動に従事し、何らかの役には立っているのだという実感を持つことはできる。また、それほど多くはないにせよ、お酒を飲み交わしたり一緒に写真を撮りに行ったりする友人もいるし、その幸福を心から願う兄妹もいる。そういった何やかやが無くなってしまえば、それこそ僕は生きていることをやめたくなってしまうかもしれない。生きるのだという意志が、もっと希薄になってしまうかもしれない。

 自分の人生に確信を持てる人など、果たしているのだろうか。いるとしたら、彼ら彼女らと、僕の違いは何なのだろう。僕は未だに、自分という存在にも、自分の人生にも、何の確信も持てずにいる。

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