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誰にも隠されていないが、誰の目にも触れないもの/『断片的なものの社会学』

 車を運転しているとときどき、道端に添えられた花束を見かけることがある。おそらくそこで誰かが亡くなったのだろう。そんなにしょっちゅう見かけるものでもないが、かといって特別に珍しい光景でもない。僕にとってそれは通り過ぎる風景の一部でしかないけれど、ふと「あの花束はどれくらいの頻度で取り替えられているのだろう」とか「天気の悪い日や台風の日などは様子を見に来るのだろうか」などと、取り留めのないことを考えてしまうことがある。自分にとって間違いなく無関係で関与のしようがない事柄ではあるけれど、そこには確実に生々しい現実が存在するであろうことは想像できる。そんなことをときどき、ふとした折にに考えてしまうことがある。

 社会学者の岸政彦さんが書かれた『断片的なものの社会学』という本は、僕が2016年に読んだ本の中でいちばん印象に残っている作品だ。

 社会学者というのがどういった人/ 職業を指すのかは、正直あまり(というか全然)分かっていないが、こと岸さんに限っていうと、「ある歴史的な出来事を体験した当事者個人の生活史を聞き、その人の語りを文章にする」というふうに説明されている。つまり、さまざまな人々へインタビューを行い、そこで語られたことを岸さんのフィルターを通して書き上げられたものが本書である。タイトルだけ見ると何か小難しい内容を想像されるかもしれないが、僕はこの本を読んでいい意味でそういったイメージを裏切られた。

 本書の帯にはこんな紹介文が書かれている。「この本は何も教えてはくれない」。僕はこの一文が、この本の内容を的確に表していると思った。この本には何か教訓めいたことや、読者を鼓舞するようなもの、もしくはこちらに何かを問いかけてくるもの、そういったものは何も書かれていない。極端な言い方をすれば、この本から何かを得られるかというと、そういうものでもない。でも、読んだ後に不思議な読後感に包まれる。その読後感は、満足よりも空虚、幸福よりも寂寥に近い。

 先に書いた通り、この本は岸さんがさまざまな人へインタビューを行なった内容や、それを受けて考えたことが書かれている。それらのエピソードの中には、もちろん特殊で過激な内容も含まれているが、本当にどこにでもありそうな日常を生きる人たちのものも多かった。そして、そういった「なんでもない日常を生きる人たちの語り」こそが生々しく、リアリティがあった。

 ちょうど同じくらいの時期にWeb上で見かけた文章で(出典をどうしても見つけられなかった)、「切実なものだけが人の心を打つ」と書かれているものがあった。僕がこの『断片的なものの社会学』を読んでいる間中ずっと感じていたのは、そういったある種の「切実さ」であったのだと思う。僕はその切実さに心を打たれ、この本のことがとても好きになった。

 冒頭に書いたエピソードは、自分は決して触れることはないが、間違いなく誰かの中に存在する切実さの象徴のようなものとして書いた。自分はただそこを通り過ぎるだけだけれど、そこには確実に「誰か」の「何か」がある。岸さんはそこを通り過ぎずに、立ち止まり、耳を傾ける。

 本書の中で岸さんは、インタビューをすることについてこんなふうに書かれていた。

インタビューと、息を止めて海に潜ることは、とてもよく似ている。ひとの生活史を聞くときはいつも、冷たくて暗い夜の海のなかに、ひとりで裸で潜っていくような感覚がある。

 このエントリのタイトル『誰にも隠されていないが、誰の目にも触れないもの』は、本書の中で特に気に入った章のタイトルをそのまま借用した。他にも、『普通であることへの意志』とか『時計を捨てて、犬と約束する』とか、タイトルが素敵だなと思うものがいくつかあった。このブログもそんなタイトルをつけて書いてみたい。

 なんだか不思議な本ではあったけれど、久しぶりにブログに感想を書きたくなるくらい思い入れのある本となった。少しでも興味を持たれた方は是非いちど手にとってみて欲しい。

※岸さんは、先日急逝された雨宮まみさんとの対談本も出されている。

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