直島に到着し、私がまず向かったのは地中美術館。高松からのフェリーが到着する宮浦港は島の北西に位置し、地中美術館は南西に位置しているので、南回りで島をぐるっと回ることになる。
自転車は借りずに歩くことにしたので、フェリー乗り場で貰っておいた地図を見ながら歩き始める。その地図によると、宮浦港から地中美術館までは「車で5分、自転車で15分、徒歩で35分」かかるそうだ。車で5分なのに、徒歩だと35分かかるっていったいどんな道なんだと不安になりつつも、レンタルサイクルショップに向かう人々を尻目に出発!
海を見渡しながら黙々と歩く
恐ろしく勾配の急な道を想像していたのだけど、実際はそうでもなかった。右手に海が見渡せて、途中にある小道も思わずシャッターを切りたくなるようなものばかりだった。今回の旅で気付いたのだけど、自分はどうやら「小道フェチ」であるらしい。細く延びた小道、小さく入り組んだ小道、曲がりくねってどこかに消える小道、そういった「小道」たちを一心不乱に写真におさめた。タモリが坂道の写真ばかり撮っているそうだけど、その気持ちがなんとなく理解できる気がする。
地中美術館と、チケット売り場は別の場所にある
写真を撮りながら歩いていたので、地中美術館には40分ほどで到着した。おそらく、普通に歩いていれば30分もかからないと思う。
ネットで検索するとよく書かれているけれど、地中美術館は、美術館とチケット売り場が別々の場所にある。私は南回りで向かったので、最初に地中美術館の方へ到着した。まだ会館時間の10時になっていなかったが、入り口の担当者の方が、チケット売り場は別にあることと、その場所を教えてくれたので、そのままチケット売り場に向かう。美術館からチケット売り場までは、徒歩1〜2分の距離だった。
チケット売り場に着くと、今度は「本日は混雑が予想されるため、チケット購入用の整理券をお配りします」と告げられる。幸い、私は会館前に到着したので、ほとんど待つことなくチケットを購入することができた。到着がもっと遅ければ、チケットを購入するまでにもっと待たされていたかもしれない。
安藤忠雄設計の建物に恒久設置された3人のアーティストの作品
地中美術館は、その名の通り建築物の大半が地下に埋まっている。景観を損なわないようにという配慮からなのだそうだけど、地上からの自然光をうまく取り入れることにより、どこか神秘的で、独特の雰囲気だった。
安藤忠雄が設計したその建物に、3人のアーティストの作品が展示されている。
クロード・モネ(フランス)、ウォルター・デ・マリア(アメリカ)、ジェームズ・タレル(アメリカ)がその3人だが、私はこれらのアーティストがどれくらい有名で、どんな作品を残しているのか、存命なのかそうじゃないのかなど、一切の知識を持ち合わせていない。
なので、純粋にその作品を見て「どう感じるか」ということでしか判断できないのだけど、個人的にいちばん良かったのはジェームズ・タレルの作品だった。3者の作品すべてに共通することだけど、とにかくひとつの作品が巨大だった。小さな絵画を見るのとはわけが違う。なんというか、その空間も「作品」の一部であり、目で「観る」というよりかは身体全体で「感じる」ための作品であった。
ジェームズ・タレルの作品は、そういったスケールの大きさに加え、純粋に「驚き」のあるものだった。こればかりは言葉で表現するのが難しいので、実際に見てもらうしか説明のしようがないのだけど、地中美術館にある作品はすべて「観る」ものではなく「体感」するものなんだと感じた。
その作品を通じて、「何を表現し、伝えたかったのか」なんてことはまったく分からなかったけれど、少なくとも「うわ、すごい!」という気分の高鳴りは十分に感じられた。
もちろん、それらの作品をより魅力的なものに仕上げているのが、安藤忠雄の建築物である。ただ単に、安藤忠雄が設計した建物にアーティストの作品を展示しました、というものではなく、アーティストの作品をいちばん美しく見せるために安藤忠雄が建物を設計した、という表現のほうがしっくりくる。
とくに、クロード・モネの作品は、地下にありながら自然光のみでライトアップされている。恐ろしく厳密に計算、設計されたものなんだろうけど、夜になるとどんなふうに見えるのかも気になった。
順序を示してもらわなければ、何を見てよいのか分からない日本人
地中美術館には、美術館にありがちな「順路」というものが存在しなかった。スタート地点があり、ゴールがある。そのような設計にはなっていないため、少なくない観客が混乱していたようだった。つまり、「何を、どの順番で観たらいいのかが分からない」のだ。
その日は混雑していたということもあり、「空いている箇所からご自由にご覧ください」というアナウンスがあったにも関わらず、多くの人はいちばん混雑している最初の作品エリアから動こうとしなかった。
実際、「順番が書いてないから分かんない」といった内容の会話をよく耳にした。
私は、それがいいとか悪いとかいうわけではないが、これってとても「日本人らしい」メンタリティというか、特徴だなと感じた。
最初はこれを見て、次はこれを見て、最後にこれを見てお終いですよと、誰かが道筋を示してくれなければ困ってしまうというのは、考えようによっては情けない気がしなくもない。別に、好きなものを好きなように見ればいいじゃないかと。
ルールや序列といった枠の中で上手に振る舞うことにかけては、これほど優秀な人種もいないと思うけれど、「はい、ご自由に」と言われた途端にどうすれば良いのか分からなくなる。もちろん、自分にもそういった部分は多分にあるわけだけど、芸術ってもっと自由に楽しむべきものなのになーと、ちょっと残念というか、もったいない気持ちになったのも事実である。
もしかしたらこれは、私のすごく一方的な見方なのかもしれないが、地中美術館で壮大な芸術作品を楽しみつつもそんなことを考えていた。